皆さんこんにちは、更紗(さらさ)です。
3月はブログを更新しなかったので、少し間が空いてしまいました。
実はちょっと海外移住してたもので…まあ特に変わりないです。
そんなボケボケの頭を整理するためにも、今回の記事では海外移住前後のエピソードを思い出して報告させていただきます!
「専属産業医勤務の感想を知りたい」、「海外生活に興味がある」方にはお楽しみいただけると思います。
是非ご一読ください!
皆さんこんにちは、更紗(さらさ)です。新型コロナウイルスがいなくなった訳ではありませんが、各国の海外渡航制限が緩和され、コロナ禍以前のように海外と日本を行き来出来るようになりましたね。皆さんの中でも「今年、もう海外旅行に行っ[…]
【海外移住】2024年2月末:5年間務めた専属産業医を退職、活動内容を振り返り
過去記事にもある通り、私はここ数年間、
「子どもの教育のためにマレーシア移住(日本とマレーシアの二拠点生活)をする」
ことを目標にしてきました。
そして遂に!その夢を実行に移す時がきたのです。
2024年3月31日、5年間務めた専属産業医の仕事を退職しました。
私は大学院生時代に嘱託産業医の経験を積み、卒業後すぐ、こちらの事業所で専属産業医として働き始めました。
2024年4月1日から医歴13年目ですが、臨床医経験は計7年半・産業医経験は計8年なので(両者はかぶっている期間もあります)、経験年数でいうと臨床医<産業医に。
まだまだ産業医としては駆け出しのつもりでしたが、気が付いたら臨床医を超えていましたね。
私が専属産業医を務めた事業所は、労働者数1700人規模・有害業務従事者も多数いる所で、
当然、専属産業医の選任義務があるのですが…私が来るまでずっと専属産業医不在でした。
産業保健活動はあってないようなもので、当初「昭和で時が止まっている…」と感じたのを覚えています(笑)。
何とか現代に追いつかせるために、社員さんへご理解を求めながら改革を繰り返し、産業保健体制を整備しました。
それらは、もちろん自分一人の力では到底無理なことで、多くの方々のご協力があって出来たことです。
しかし自分主導でここまで大きな仕事を達成出来たこと、ちょっぴり誇りに思います。
この5年間、新型コロナウイルスが蔓延し産業保健活動も多大な影響を受けましたし、
プライベートでは第一子・第二子出産も経験しました。
社員さんたちには「随分バタバタした産業医だな〜」とか思われていたかもしれませんね(笑)。
専属産業医の仕事はとても楽しくやりがいを感じていたので、正直名残惜しく、
個人的な理由で退職することを申し訳なく思います。
事業所の皆さんにはご迷惑をおかけすることになってしまいましたが、それでも皆さん温かく送り出してくださいました。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。産業医として育てていただいたご恩は決して忘れません。
皆さんの中に臨床医として行き詰まりを感じている方がいらっしゃったら、是非産業医という道も選択肢に入れていただきたいです。私にとっては理想の仕事でした。
↓拙著、ご参考になりましたら嬉しいです!↓
皆さんこんにちは、更紗(さらさ)です。暑さ・水害等で全国的に大変なこと続きですが、皆さんご無事でお過ごしでしょうか。私は相変わらず元気いっぱいに家事・育児・仕事に励んでおります。「めちゃ忙しくて全然自分の時間が無い…[…]
【海外移住】2024年3月前半:最終出社日〜海外移住(移住までの死闘)
さて、2月29日の最終出社日を終え、そこからが移住準備のラストスパート!!!
「とはいえ以前から準備してきてたし、子どもたちが幼稚園に行っている間にちょっとは自分の時間あるかな〜♪」
とか期待していた自分を張り倒したいほど、余裕が無かったです(死)。
先に移住日(3月半ば)を決めてしまっていたせいもありますが、
移住一週間前に急にマレーシアのスクールから「入国後すぐに大量の書類を用意してビザ申請に来てね!」とメールがきて、
英文の残高証明書や3ヶ月分の取引履歴明細書を銀行から取り寄せるのに「一週間〜10日かかります」と言われ、
「間に合わないかも」というプレッシャーで胃が痛くなりました(まだ痛い)。
そんなバタバタの結果…………間に合いました!!!
(銀行から取り寄せた書類は一週間未満で届きました)
本当に良かったです…書類集めに関わってくださった全ての方々(留学エージェントさん、銀行の職員さん、郵便屋さん、コンビニ店員さんなど…)、スムーズにご対応くださいまして、心から感謝申し上げます。
そんな死闘を繰り広げた後でボロボロでしたが、いよいよ移住する日がやってきました。
移住するのは私と子ども2人だけですが、最初の一ヶ月間は夫にもマレーシア滞在してもらい生活の基盤を築くことにしていました。
なので、家族4人で日本→マレーシアの大移動です!
移住荷物は大型スーツケース3つとリュック1つのみ。
食材や子どものおもちゃ・絵本・ケア用品が殆どで、自分の私物はかなり断捨離しました。
しかしそれでも、「もっと物減らせば良かった…」と後悔することに。
荷物のみならず、「自分の足で歩きたくない2歳児」(重い)も抱えて移動をしなければならなかったのです。予想はしていましたが。
この移動だけで両腕の筋肉がかなり逞しくなりました(笑)。
まあ今となっては良い思い出です。
皆さんこんにちは、更紗(さらさ)です。2022年もあとわずかですね。皆様、いかがお過ごしでしょうか。コロナ禍で激務に耐えている方もいることでしょう。本当にお疲れ様です。この年末年始、皆様に少しでも心安らぐ時間がありま[…]
【海外移住】海外移住の目的「広い世界を知ってほしい」
「何でわざわざ海外移住なんかするのか」とお思いの方もいると思いますので、ここで少しお話しさせていただきますね。
私は子どもたちに「広い世界を知り、どこかで幸せに生きていってほしい」と思っています。
超高齢社会の日本は様々な問題をはらんでおり、今後経済の低迷を招くことは確実です。
将来、私の子どもたちにとって住みやすい国ではないかもしれません。
ならば、無理に日本に留まらずとも、「子どもたちが住みやすい国で生きていけばいい」と思うのです。
(本人たちが日本に留まりたいのならば、もちろんそれもアリです)
そのため、今から子どもたちの将来の可能性を広げてあげたい。
そう思い、私の子どもは2人とも1歳半頃からインターナショナルスクールに通わせました。
インターナショナルスクールには様々な人種・国籍の人がおり(先生も生徒も)、海外の多様な文化について学ばせていただくことが出来ました。
子どもたちも毎日楽しく通っていました。
しかし、子どもたちの成長に伴いそちらのスクールが手狭になってきたこと・そのスクールが未就学児までしか受け入れていないことを鑑み、
「インターナショナルスクール大国」といわれるマレーシアへ子どもたちを留学させることを決意したのです。
「日本の別のインターナショナルスクールに転校するだけでいいのに」というご意見もあると思います。
私自身は生まれも育ちも日本で、「日本の常識が世界の常識」「常に日本が正しい」と思って生きてきました。
しかし、実際はそうではありません。立場が変われば、常識や何が正しいかなんて容易にひっくり返るものです。
それを学ぶためにも、子どもたちには海外生活は必ず経験してほしかったのです。
順応力の高い、幼いうちから海外移住することは、子どもたちにとっての負担が小さいとも思いました。
マレーシアという国自体が多民族・多宗教・多言語で非常に国際色豊かで、「広い世界を知る」にはピッタリです。
子どもたちに沢山の経験・感動を与えたい。そのために親として出来ることを精一杯してやりたい。
ただそれだけです。
皆さんこんにちは、更紗(さらさ)です。今回は「専門医資格の選び方シリーズ」の第2回目、社会医学系専門医についてです。このブログは臨床医を対象にしていますので、社会医学系専門医についてはあまり知らないという[…]
【海外移住】海外移住後、仕事はどうするの?
今はまだ子どもたちの学校が始まっていないので、家族4人で春休みを謳歌中です!
マレーシア生活にもすっかり慣れましたが、これまではまだ仮住まいだったのでアクセルを踏めないでいました。
しかし…4月1日、遂に手続きが済み、新居に入居可能になりました。いよいよ引っ越しです!
我が家では、今まで私が医師として働き、夫が専業主夫をやっていました。
しかし4月末に夫が日本に帰国したら、それが逆転します。
私はマレーシアで主婦(家事・育児)・オンラインバイトをし、夫は日本で就職する。
人生100年時代、人々はマルチステージを経験することになると言われていますが、
正に私たち夫婦は、新たなステージに突入することになります。
私は社会人になってからずっと働いてきたので(産休も最小限だった)、クセで稼ぐことばかり考えてしまいますが、今の本業は主婦。
本業に支障をきたさないように気を付けながら、オンラインバイトをやっていこうと思います。
チャレンジしたバイトについては、逐次ブログでご報告させていただきます。
また、ブログ記事が増えてきたので、皆さんに分かりやすいようにまとめ記事を制作予定です!
どうぞご期待ください!またブログに遊びに来てくださいね。
皆さんこんにちは、更紗(さらさ)です。突然ですが、皆さんは100年時代を生き抜く準備を実践していますか?過去記事で『LIFE SHIFT~100年時代の人生戦略』(著:リンダ・グラットン/アンドリュー・スコット、訳:池村千秋[…]