私が専属産業医に転職するまで

皆さんこんにちは、更紗(さらさ)です。

今回は、私が専属産業医に転職するまでの体験談です。

これまでも過去記事で臨床医時代の過酷な労働環境、大学院生時代のバイト経験などチラホラ書いていましたが、

今回は医師になる前から専属産業医に転職するまで、一連の流れを書いていこうと思います。

私も最初から産業医を志していたわけではなく、色々と悩み、試行錯誤をしていたことがお分かりいただけると思います。

働き方に悩む臨床医の皆さんに、悩みながらでも行動することの大切さを少しでも伝えられると思います。

是非ご一読ください。

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医師になる前

うちは父が医師です。

父は「うちの子から医者を出すことがパパの夢なんだ」と言い、

母は幼少期の私が「将来何になろうかなあ。ケーキ屋さんかなあ、お花屋さんかなあ」と言うと即座に「医者でしょ!」と訂正しました。

今思うと洗脳ですね(笑)。父は別に開業もしておらず、継ぐものなど無いのですが、両親とも世間体を気にしていたのでしょう。

両親のそんな努力の甲斐あって、「親の期待に応えたい」と医師を志しました。

いざ医学部に入ったものの、授業を面白いと思えず(ちゃんと出席はしていましたが)、バイトで暇潰しをしながら過ごす日々でした。

6年生になると、もう希望の診療科が決まっている人が殆どでしたが、私はなりたい診療科がありませんでした。

結局、消去法で、内科系の一つを志望することにしました。

将来に一切の希望も見出せない中で、私の医師人生が始まりました。

臨床医時代 臨床オンリーで3年間

初期研修2年間、後期研修1年間は地元の市中病院で真面目に働きましたが、医療界の古い体質にドン引きしました。

医師は人間ではなく、ただの安い労働力なのだと思いました。

この頃から、「病院の外で働きたい」という思いがありました。その主な理由は以下の2つでした。

  • 「病院に来ても治せない人」の多さ(臨床の限界)に驚いた。
    病院で、病気になった人が訪れるのを待つのではなく、自ら病院の外に出て積極的に予防に関わりたいと思った。
  • いくら捌いても永遠に終わらない、むしろ高齢化により今後更に過酷になるであろう下流の仕事にやり甲斐を感じなかった。
    少しでも医療界の現状を改善するような上流の仕事をしたいと思った。
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先輩医師から少し話を聞いていた産業医の仕事に興味を持ち、認定産業医の資格を取るために県外の大学に講習会を受けに行きました。

そこで偶然にも、私の専門科も産業医学も学ぶことが出来る医局があると知り、大学院に進学してその医局に所属させていただくことになりました。

しかし、父や地元の先生方の反対は大きかったです。私も不安が無かったわけではありません。

それでも、「このまま過労死や過労自殺するよりもずっと良い」と、地元を出て来ました。

大学院生時代 臨床医と産業医のバイト掛け持ちで4年間

大学院一年目は、大学病院の病棟管理に携わりました。

「もしかしたら大学病院でなら臨床医としてやっていけるかもしれない」という淡い期待もあったのですが、

やはり医療界の古い体質は変わりなく、平日は時間外のセミナー等で夜遅くまで拘束され、休日はバイトに出掛け、1日も休みがありませんでした。

また、難しい治療によりミゼラブルな結果になる症例を複数経験し、精神的にも辛いと感じていました。

二年目以降は病棟を離れ、研究とバイトがメインの暮らしが始まりました。

臨床医のバイトと産業医のバイトを掛け持ちし、かなり多忙だったのですが、今後の進路を選ぶ上で非常に有意義な期間だったと思います。

様々な仕事を経験したことで「自分は臨床に向いていない、興味が無い」と確信することが出来たからです。

結果的に、しっかり納得して、専属産業医の道を選ぶことが出来ました。

私に試行錯誤する時間を与えてくれたこの医局には、心から感謝しています。

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専属産業医時代 現在に至る

自分が理想としていた仕事とは言え、実際に働いてみると様々な困難に直面します。

それでも、自分に大きな裁量があり、周囲にサポートがあることで働きやすいと感じています。この仕事に巡り会えたことが純粋に嬉しいです。

また、夫にも「産業医になってくれて良かった」と言われました。

あのまま臨床医を続けていたら、夫一人に家事・育児を丸投げすることになり、家族に大きな負担を強いていたと思います。

今は、仕事の日は定時に帰宅し、夫と二人で協力して家事・育児をしています。休日は朝から晩まで、たっぷり子どもと過ごします。大変ではありますが、家族が幸せであることが私の大きな喜びです。

まとめ

今現在、働き方に悩んでいる皆さんにお伝えしたいことは、「勇気を出して一歩前に進むこと」です。どんなに文句を言っても、行動しなければあなたの悩みは変わらないと思います。

私も、悩みながらでも前に進み続けたことで、理想の仕事・暮らしを手に入れました。皆さんにも、是非理想を実現してほしいと思っています。

今から、ほんのわずかな一歩で構いません。とにかくスタートしましょう!応援しています。

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